フェアレディZは日産の国産スポーツカー。オープンカー。1962年(昭和37年)に登場。前身モデルは1959年に発売された「ダットサンスポーツ」。カルロス・ゴーンが復活させた。(劉凱鵬)


フェアレディZ オープンカー、新発売 中高年層をターゲットに

1992年9月5日、日刊スポーツ

オジさんもオープンカーに乗ろう

「オジさんもオープンカーに乗ろう」-日産がこんな宣伝コンセプトで、フェアレディZのオープンカーを新発売した。現行(4代目)のフェアレディZモデルから屋根を外し、改良を加えたものだが、ノン・ターボで走りも優しい。世のオジさまドライバーが、カッコよく“風と戯れる”ドライビングにチャレンジできる、待望の一台といえそうだ。

ポスターのモデルはアートディレクター村越譲氏

今回のオープンカー発売にあたって作成したポスターのモデルには、大正生まれのアートディレクター、村越譲氏(67)を起用。さらに、クルマのメーンカラーも茶色と渋めにしている。なぜ、こうまで中高年層(オジさまドライバー)をターゲットにしているのか!? 日産宣伝課では「もちろん20~30代のヤンエグにも乗ってほしい。でも、クルマを何台も乗り継ぎ、人生の酸いも甘いも知りつくした熟年世代がオープンカーに乗っていると、実にカッコいい。そういう気持ちを素直に表現した」という。

昔の夢の実現

1991年、ホンダのビートやカプチーノなど軽自動車のオープンカーが登場、40代以上の熟年世代に幅広い支持を得た。「若いころ、時代も貧しく個人的にも買えなかった世代が今、ようやく昔の夢を実現させて乗っている」と、モータージャーナリストの鈴木誠男さんは分析しているが、確かにオープンカーが熟年層に支持されているのも事実だ。

高級感を損なわない仕上がり

そこで、実際に乗ってみた。屋根の脱着は電動ではないが、座席頭上のほろロックを外し後方頭上に持ち上げ、ほろ収納庫に畳み込むだけの簡単さ。特別な力もいらず、約30秒でできる。ファスナーやホック類はなく、高級感を損なわない仕上がりが気に入った。

エアデフレターが効果的

オープンカーでは、後ろから入ってくる風の巻き込みも気になるところだが、このZには座席後部にエアデフレター(整流板)という風よけ板が設置してあり、これがかなり効果的。特に、高速道路に入っても結構風を避けてくれる。窓を閉めれば、ほとんど風の巻き込みを意識しないで済む。

不安点

不安点もある。オープンカーには、屋根を外したことによるクルマの剛性不足がよくいわれるが、「例えば、左右に段差のあるようなところで、多少ハンドルにキックバックを感じた。高速運転で、内側にハンドルを激しく切ると、ちょっとガタつく」(モータージャーナリスト・日下部保雄氏)など、専門家の厳しい意見もある。しかし、普通にクルージングする分には、60キロ重く補強してある車体に不安は感じなかった。

なかなかのクルマ

今回、ターボを外して自然吸気だけにしてあるエンジンは、走りにそう快感を加味、気持ちいい加速感が楽しめた。海辺や高原に、風を感じながら走るフェアレディZ-おしゃれでカッコよくて、なかなかのクルマだが、約480万円という値段もなかなか……。

フェアレディZの歴史

1962年(昭和37年)「フェアレディ」として初めて登場。その後“Z”が付いたのは1969年から。1978年、1983年、1989年にフルモデルチェンジを行い現在に至る。今までのトータル販売台数は、国内で約20万台、海外で約130万台。フェアレディの前身モデルとしては、1959年に発売された「ダットサンスポーツ」がある。今回のオープンカーは月販売約100台が目標。

フェアレディZの主要諸元(性能、概要)
全長 4310ミリ
全幅 1790ミリ
全高 1255ミリ
定員 2人
燃費 8.4キロ
エンジン DOHC-V6
総排気 2960CC
最高出力 230PS
最大トル 27.8キロ
価格 476.5万(5MT)
488.0万(E-AT)

オープンカーお勧めコース

リンゴ街道(群馬)

沼田市から尾瀬、日光方面に向かう国道120号線(沼田街道)の愛称。関越道沼田インターを降りると、道の両側に「リンゴ狩り園」の看板が目立ってくる。尾瀬への分岐点・片品村まで約30キロの区間に続くリンゴ畑は、11月中旬までがシーズン。途中に老神温泉や吹割の滝など見どころが多く、日光との周遊コースでも楽しめる。

コスモス街道(長野)

コイの里で知られる佐久市から国道254号線に折れると、道の両側がピンク一色に包まれる。群馬県に抜ける内山峠近くまで約10キロにわたる“コスモス街道”だ。初秋を告げる今がちょうど見ごろ。沿線には奇岩怪石の内山峡の山々が広がり、地元ボランティアによる無料のお茶サービスがうれしい。東京から関越道藤岡インター経由、254号で約50キロ。

波乗りライン(千葉)

片貝~一宮間の九十九里海岸を走る約15キロの有料シーサイドルート。名称通り太平洋の景観が豪快だ。片貝海岸では名物のイワシ料理も。京葉道、千葉東金道経由で、東金~片貝間は約8キロ。

OFF BUSINESS 車とっておきの話 MOTORING LIFE

2002年9月21日、 週刊ダイヤモンド

カッコよくて、安い日産新型フェアレディZ

フェアレディZが2年ぶりに復活した。

早速、試乗車を借りて走ってみると、どこへ行っても注目の的だ。高速道路のサービスエリアに止めれば、必ずといっていいほどギャラリーに話しかけられる。4代続いて銀幕から姿を消した国民的スポーツカーのご威光をあらためて実感させてもらった。

米国案がベースのカッコイイスタイリング

5代目の新型が人目を引くのは、なによりカッコイイからである。日米欧のデザインスタジオでコンペが行なわれ、最終的に米国案がベースになったスタイリングには、日本車離れしたダイナミックなカタマリ感と美しさが同居する。

Zの伝統

すでにスカイライン系に使われている3.5リットルV6エンジンという“心臓”よりも、ルックスのほうがはるかに新鮮で魅力に富む。しかしそういう点も、ストイックなメカで売るスカイラインGT-Rに対して、いかにもZらしいキャラクターといえるかもしれない。外観でまず人の心をとらえてきたのがZの伝統だ。

年間4万2000台の販売を目標

新型は全世界で年間4万2000台の販売を目標にしている。そのうち、約6割は北米の需要だが、発売直後から日本でもセールスは好調だ。

顧客の平均年齢

驚くのは顧客の平均年齢の高さで、30%弱を占める30代が最多層だが、40~50代の合計で47%に達し、40代よりも50代のほうが多い。スポーツモードを備える5段ATもあるのに、6段マニュアルのほうを選ぶ人がなんと45%にも上る。

いかにスポーツカーとはいえ、国産車としては驚異的な数字である。マニュアル車で青春時代を送った中高年層に支持されている証拠だろう。

カッコよくて安い

グレードは3種類で、価格は300万円から360万円。3リットル級の高級ミニバンよりはむしろ安い。アメリカでは約3万ドルで売られる。旧型は4万5000ドルもしたので、なにより安価なことが衝撃を与えているという。「カッコよくて、安い」。初代Zのセールスポイントも復活を果たしたというわけだ。

第17代王車表彰式 日産再生の“シンボル”「フェアレディZ」

2003年1月18日、スポーツニッポン

第17回 スポニチ制定 KING OF CAR

走行性能、斬新デザイン、安さ評価されグランプリ
ゴーン社長、得意満面「大変意義深い」

スポニチ読者が選ぶ車のグランプリ「第17回キング・オブ・カー」(主催・スポーツニッポン新聞社、キング・オブ・カー制定委員会)の表彰式が2003年1月17日、東京・銀座の日産自動車本社で行われた。グランプリに輝いたのは「フェアレディZ」。白根邦男・スポーツニッポン新聞東京本社社長から表彰状と記念の盾を授与された日産のカルロス・ゴーン社長(48)は「Zは日産のシンボルであり、私の大好きなスポーツカーです。それだけに、こうした素晴らしい賞を頂けて大変うれしい」と、喜びを語った。

すっかり自信「コンバーティブル2004年出す」
国内最高人気スポーツカー

授賞式は日産本社15階の応接室で行われた。「フェアレディZは日産再生のシンボルと受け取っている。Zのヒットとグランプリ受賞に心からお祝いを申し上げます」と白根社長。

表彰状、記念の盾を受けたゴーン社長は「Zは国内で最も売れているスポーツカーであり、米国でもコルベットを上回る販売人気になっています。アトラクティブなデザインと、運転するのが楽しくなる340以上のトルクのある動力性能、さらに“それで利益が出ているのか”と言われるプライスの魅力、この3点が好評の理由だと思う。日産の歴史の中でシンボルのZが認められたことは大変意義深い」と、日頃の厳しい表情を笑顔で崩した。

ゴーン流経営で全社一丸、2兆円の負債2004年ゼロに

ゴーン社長が若き日、アメリカで初めて買った日本車がZだった。現在もプライベートカーとして乗っている。それだけにZの素晴らしさを一番知り、復活に全力を懸けた。

Zのほかマーチ、スカイラインと立て続けに投入した新車がヒット、業績のV字形急回復に大きく貢献した。ゴーン社長の評価もうなぎ上りだ。「プラン180の3カ年計画で28車種を出す計画で、2002年までに9車種を発売した。さらに2005年までに残り19車種を発売。今後も話題の車をどんどん投入していきます。Zのコンバーチブルも2004年出します」とすっかり自信を得た表情。プラン180では、販売台数を100万台上乗せする目標も進行中だ。

中国マーケットにも本格進出

2003年からは中国マーケットにも本格進出する。現地の乗用車メーカー、東風汽車会社と2002年合弁会社を設立。春からサニー(ブルーバードシルフィ)を販売する。「中国で2003年度は2002年の倍の80万台の車を発売します」と新年から元気のいい話に終始した。

「セブンイレブン」のニックネーム

ゴーン社長は社員から「セブンイレブン」のニックネームをもらうほどの仕事人間。朝から夜まで精力的に仕事をこなし、いつ寝るのかというほどだが、仕事と家庭はきっちりと区別。東京で一緒に暮らす家族6人との団らんを人一倍大切にしている。

強い指導力とカリスマ性

ゴーン流経営手法は高いハードルを掲げ、その目標に向かって全社一丸となって進む。組織を超えた互いのコミュニケーションをとり、従業員にチャレンジ精神を持たせる。1999年の就任時、2兆1000億円あった有利子負債も2004年ゼロになる。ひん死の日産を短期間でリバイバルさせた手法は不況に苦しむ他の企業のお手本だ。「日本の企業はポテンシャルがあると信じている。日産の再生過程を公表することで、何かヒント、アイデアになれば」と力づけた。2005年からは仏・ルノーの社長を兼任。強い指導力とカリスマ性は、今の日本にとって理想のリーダー像。将来はフランス大統領の声も出ているほどだ。

軽のハンデ何の…特別賞「コンペ」

特別賞に選ばれた「コペン」の授賞式は、東京・日本橋本町のダイハツ工業東京支社で行われた。大隈潔・スポーツニッポン新聞東京本社取締役から表彰状と盾を受けた林信一郎広報部長は「軽というハンデを乗り越えて、夢のスポーツカー造りを実現させようと、全社一丸となって取り組んだ結果が認められて大変光栄です。受賞を励みに、今後もブランド価値を上げるよう努力したい」と喜びを語った。

選考結果

選考は読者のはがき、インターネット投票、東京での街頭投票を集計し、上位3車種(日産フェアレディZ、日産エルグランド、ダイハツ・コペン)を選出した。第2次選考は読者代表12人が2002年12月8日、千葉・海浜幕張で試乗会。採点結果をもとに専門家の意見を加えて決定された。

グランプリに選ばれた「フェアレディZ」は高級スポーツカーとしての優れた走行性能、斬新で優雅なデザイン、300万円台という価格の安さが高く評価された。特別賞の「コペン」はキング・オブ・カー17年の歴史で、軽自動車初の受賞。軽の概念を変えたスポーツカーとして健闘した。

ゴーン社長メモ

▽家族 夫人のリタさん(37)長女(15)二女(13)三女(10)長男(8)と都内に住む。

▽好きなスポーツ サッカー。元日本代表監督の岡田武史氏が横浜の監督に就任。ゴーン社長の期待も大きい。ほかに相撲観戦。

▽趣味 ドライブ(愛用車はフェアレディZ、エルグランド)トランプのブリッジ遊び。水泳、テニスは健康法にもなっている。

▽好きな食べもの 好き嫌いなく何でもOK。日本食も好物。

▽酒 ワインを少々。

カルロス・ゴーン

1954年3月9日、ブラジル生まれの48歳。1974年仏・国立理工科大学入学、1978年仏・国立高等鉱業学校卒業。1978年ミシュラン入社、1985年から4年間、ブラジル・ミシュラン社長として南米事業全般を統括。1990年北米ミシュラン会長、社長、CEO。1996年ルノー入社、1996年12月上級副社長、1999年日産自動車COO(最高執行責任者)、2000年6月社長就任。日産自動車社長兼最高経営責任者。

日産自動車

1933年(昭和8年)12月26日創立。資本金6045億5600万円。主な事業は自動車、フォークリフト、船舶の製造・販売および関連事業。売上高(連結)6兆1962億4100万円(うち日本2兆3701億6200万円、2001年度)。本社・東京都中央区銀座6の17の1。

[ロングセラーの理由]フェアレディZ 「憧れの走り」身近に

2017年3月29日、読売新聞

ロングセラーの理由(わけ)

日産自動車

スポーツカーの走りと、乗り心地の良さを手の届く価格で両立させ、国内外で支持を集め続けている。これまでに約179万台が生産された。

初代の発売は高度経済成長期の1969年。当時のスポーツカーは高価で、商品というよりも「広告塔」としての性格が強かった。フェアレディZの開発にあたった植村斉(ひとし)氏(81)は「大量に売れる車づくり」を目指した。

他車種との部品共通化でコスト減

クーペ型の車体ながら、トランク2個を積める広い荷室も用意。他車種との部品共通化でコストを下げた。四輪がそれぞれ独立して動くサスペンションを取り付けるなど、走りにも妥協せず、レースで好成績を残した。

「勝つことで人気が出た。憧れでありながら、手を伸ばせば届く。親しみやすさが魅力だった」。植村氏は振り返る。

海外でもヒット

欧米人の体格にも合わせた設計で、企画当初から北米市場も見据えた。狙い通り海外でもヒットし、「Z-Car」の愛称で親しまれた。初代は全面改良までの約9年間で約52万台を売り上げ、世界で最も売れたスポーツカーとなった。

2000年に生産を中止したが、カルロス・ゴーン社長の肝いりで2002年に復活。「日産再生」のシンボルは、今も多くの愛好家の心を捉えて離さない。

誕生 48年

6代目となる現行モデルは、2008年12月に発売。ブーメラン形のランプを配置し、外観が引き締まった印象になった。最上級グレードの「ニスモ」などのバリエーションも発売されている。希望小売価格は383万円台~629万円台。